初めて「サーキット」なるもんを体験したのは22歳、場所は鈴鹿だった。
それまではもちろんお山の大将。信貴生駒スカイラインがホームだった。
就業後、それこそ毎晩のように通った。
「通う」つーのはえらいモンで、Rは無論のこと路面の荒れやら継ぎ目やら消火栓の蓋の位置までコースは全てインプットされていく。
そうなればどんどん速く走れるようになって、多少なりとも腕も上がっていくからますます速くなる。
で、ちょっと調子に乗りかけた時のこと。
現在チームの一員であるスーさんが、鈴鹿を走っているというツレを連れてきた。
如何にもおとなしそうな、真面目な雰囲気のヤツ。
上から下まで革で身を包んだ俺に対し、作業用の布ツナギに、ボロいスニーカー姿。
『鈴鹿かなんか知らんけど、こんなヤツに負ける気せんで』と思った。
しかもソイツの単車ときたら125。自分のは250だから、『勝負にもなれへんわ』と。
で、ヨーイドン!地の利と排気量にモノを言わせてブッチギリ!のハズが・・・
走っても走っても、バックミラーからソイツが消えない・・・
『アレ?』そう思った瞬間・・・スパッ!っとインを刺され、スイ~っと抜いて行きやがる。
俺はもう唖然。そらそーや、半分の排気量のヤツに抜かれたんやもん。
しかもソイツ、コケたらタダでは済まん軽装備。
そっからはもう必死。どーにか抜き返してやろうと限界の走りをする。
が・・・ついていくどころか、どんどん離されてく。
『そんなアホな~・・・』である。
それでも、ソイツのライセンスは「ノービス」っていう最下層クラスのものだって言うから驚いた。
己が如何にちっちゃいかを、身を以って知った時のオハナシ。
疎遠となって久しいが、そっからソイツとはよくツルんで走ったなぁ~。
競技ライセンスを取得したのはその直後。
そこから一気にロードレースに傾倒してゆくこととなる。
「負ける」って、俺にとってはスゲー大事なエネルギー源。